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 ■懇願―3■



 六つの影は少しずつ近づいてきて、サドと前田を半円状に取り囲もうとしていた。全員、青いブレザーにプリーツスカートを着ている。アリジョの制服姿だった。
 照明に六人が照らされていくにつれ、サドはその一団の異様さに息を呑んだ。
 中央に立つ女の手には金属製の鎖がにぎられており、それが背後の五人へ一本ずつつながっていた。鎖の先端はそれぞれの首輪から伸びていて、鵜飼の鵜を連想させた。異様なのはそれだけではない。五人の両手は背後で拘束されているらしく、後ろに回されたままだった。また、両足首にも鎖が張られており、歩くにはかなり狭い歩幅でなければならなかった。五人の動きのぎこちなさには、ゾンビを思わせる不気味さがあった。
 サドは自分と前田の正面に立つ、ひとりだけ拘束されていない女を見た。身長はサドより少し低いくらいで、セミロングの髪を体の前に垂らしている。どことなく日本人離れした雰囲気で、ある種の妖艶さを醸し出していた。
 ついに自分の番か――。サドは自分がアリジョに狙われる可能性を考えてはいたが、こんなタイミングで来るとは思わなかった。
 ――勝てるのか、私は……。
 一瞬で、口の中が渇いた。唾液を飲み込んだ。冷や汗が背中を伝う。それにしても、どうして自分たちがここにいることがわかったのだろう……。サドは疑問に思ったが、いまはそのことはどうでもよかった。まずは、闘いに勝つことだけを考えればいい。
 ラッパッパの、いや、マジジョのテッペンに立つ身としての気概はある。しかし、サドの冷静な部分は警告を発していた。これまでの戦績を鑑みれば、決して油断ならない相手だ、と。事実、女たちが放つ強烈な敵意は、これまでサドが経験したことのないものだった。それにしても、リーダーらしき女はともかく、鎖でつながれ、両手両足をみずから封じている後ろの五人はどうやって闘うというのか……。
 「馬路須加女学園の前田敦子さんと、サドさん……かな?」中央の女が立ち止まった。鎖が、じゃらりと音を立てた。
 「だれだ、てめえは?」
 「亜理絵根の番を張らせてもらってるフォンチーです。よろしくね」
 「フォンチー……?」
 「そ。フォンチー」フォンチーは微笑んだ。「日本生まれのベトナム人なんですよ」
 「フォンチーか。よぉく覚えておいてやるよ。てめえら、うちの生徒をかわいがってくれてるらしいが、今日は私たちの相手をしてくれるのか、たったこれだけの人数で? 私も見くびられたもんだな」
 「いえ。後ろの連中は――単なるお供です。だから余計な手出しをしないよう、拘束してあるでしょ。左から、るか、ゆうな、まなみん、かおるん、オジーって名前。で、今日はあいさつだけしようと思って……」
 「あいさつ?」
 「今週末、そちらの学校にお邪魔するんで、顔合わせしといたほうがいいかなぁ……って」フォンチーはサドと前田を交互に見た。「あなたがラッパッパのサドさん。で、こちらが前田敦子さんだよね?」
 「おい、てめえ……」
 「てめえじゃなくてフォンチー。もう忘れちゃったかな? ところで前田さん」フォンチーは今度は前田に話しかけ、軽く頭を下げた。「金曜日はよろしくお願いね。お手合わせできるの、楽しみにしてるから」
 「私には……」顔を伏せていた前田が小さくつぶやいた。「――私には、関係ありませんから……」
 「え、お休みなの? それは残念。だったら、前田さんとは、いまここで勝負つけよっかな……」
 フォンチーは言い終わるが早いか、横向きの前田の顔面に向けて右ストレートを放った。にぎっていた鎖が地面に落ち、派手な金属音を立てた。
 前田の反応はさすがに早かった。右側から襲いかかるフォンチーの拳を、左手で顔を防御しつつ捕らえたのだ。フォンチーのパンチはまったく遅くなかった。いや、むしろサドのそれよりも早かった。なのに、前田は易々と、あたかもだれにでもできるかのごとくやってのけた。さすがは私にタイマンで勝っただけのことはある。サドは満足そうに笑みを浮かべた。
 「あーあ……。不意打ちのつもりだったんだけど、やっぱりこれじゃあ無理か――なーんてね……っ」
 フォンチーは右手を前田に捕らわれたまま、今度は左フックを前田の背中に叩き込もうとした。あの位置からでは前田の視界の死角になっているはずだ。
 「前田、背中だっ」サドは叫んだ。
 前田はサドの言葉の前に反応していた。左手でつかんでいる右手を外側にねじり、フォンチーの態勢を崩した。フォンチーの左フックは勢いをなくし、なにもない空間を弱弱しく通過しただけだった。仮に当たったとしても、なんの効果もなかっただろう。フォンチーは右ひじをかばいながら腰を落として地面に転がった。
 前田はすかさず、フォンチーを踏みつけようとした。ローファーの底がすさまじいスピードで仰向けのフォンチーの顔面に迫る。プロレスでいうところの、ストンピングという技だ。フォンチーの「お供」たちのあいだに、ざわっという声にならない叫びがあがった。
 まともに食らえば、鼻の骨が砕けることはまちがいない。
 ――が、前田は脚を止めた。
 フォンチーの鼻柱の数センチ手前で。
 前田はゆっくりと眼鏡を外し、歯を食いしばったようなくぐもった声で静かに言った。
 「――やらねえったらやらねえんだ。私にちょっかい出すんじゃねえ……」
 だが、前田を見上げたフォンチーは、人を食った態度のままだった。「ふふっ……いい眺め……。清楚っぽい子って、やっぱり下着は白なんだね」
 これには前田もかちんと来たようだった。せっかく止めた脚を上げた。今度こそフォンチーの鼻柱を砕くつもりらしい。前田を怒らせた報いだ。サドは一片の同情も感じなかった。
 前田の脚が、思いっきり下ろされる。 
 だが、その脚は途中で止められた。
 フォンチーが両手を伸ばし、前田のローファーをつかんだのだ。
 サドは驚いた。前田のあの蹴りを途中で止めるとは並大抵の力ではない。しかも、あの不利な態勢から……。
 ――ひょっとすると、こいつは……。
 サドは前田を援護できるよう、その横へと駆けた。
 前田の顔を覗きこむ。瞳が驚いていた。
 「前田さん、ちょっとどかしてもらっていいかな、この脚。でないと……」フォンチーは屈託のない笑顔を見せた。「――折るよ」
 前田はなにかを察知したのか、すぐにフォンチーの忠告にしたがった。脚を後ろに下げると、フォンチーは手を離した。
 「ああ、痛かった……」フォンチーはブレザーとブリーツスカートをはたきながら起き上がった。「あれだけの力でひねられたのは初めて。すごく痛くてよかったよ、前田さん。もう一回、やってもらっていい?」
 フォンチーは右手を差し出した。手首から先はだらりとだらしなく下げられている。
 本気なのか。それとも罠なのか。
 「――前田、やめておけ」
 罠ではない、とサドの直感は告げている。だが、気持ちが悪かった。これまでたくさんのヤンキーどもとケンカをしてきたが、こんなに狂ったやつを相手にしたことはない。
 前田は黙ったままだが、その目はあきらかにフォンチーの誘いを拒絶している。
 「ダメ? なあんだ、つまんないの」フォンチーは右手を下ろした。「でもいいや。金曜日にまたやるよね? だって、いまのは前田さんの負けだから。マジジョ最強の女が、負けたままでいられるわけないよね?」
 敵ではあるが、フォンチーのこの言葉は、サドにとっては渡りに船だった。これで前田がやる気になってくれれば、サドの当初の目的は達成されたことになる。
 うなずけ。うんと言え。悔しいだろう。死んだダチとの約束であっても、ここまで小馬鹿にされては黙っていられないはず。おまえの本性はヤンキーだ。マジになんてなれねえ。
 サドは前田を見つめた。
 「私は……やりません……」
 前田は静かに言いながら、眼鏡をかけた。
 やはりダメだったか……。ここまでやられても意思を曲げないのなら、もうだれも前田を説得することはできない。サドは落胆した。
 「ふうん……。意外とショボいね、前田さん」フォンチーは後ろを向いた。「んじゃ、帰るよ。ごめんね、みんな。せっかく来たのに、痛い思いをしたの、あたしだけで……」
 「しょうがないっすよ」オジーが口を開いた。「でも、ここに来るまでこの姿勢で、あたしたちも充分痛かったから、それでもう、ありがぴょんですよ」
 「オジーはかわいいね。あとでたっぷり痛くしてあげる」フォンチーは地面に落ちている鎖の束を持ち上げた。そしてサドたちに振り返ると手を挙げた。「それじゃあ、またね」
 「ちょっと待て、こら――」サドはさっきから気になっていたことを聞くために呼び止めた。「てめえ、どうしてここがわかった?」
 「ちょっと尾けさせてもらっただけ。大島さんが入院している病院の前で張ってたら、警戒心ゼロのあなたたち二人が……」
 大島という単語を聞いた瞬間、サドはフォンチーに向かって駆け出した。三秒後、サドはフォンチーのブレザーの胸倉をつかんでいた。
 「てめえっ、なんで優子さんのことを知ってるっ」
 サドの絶叫に近い声の大きさでも、フォンチーはまったく動じない様子で、「そりゃあ、知ってるよ。マジジョといえばラッパッパ。ラッパッパといえば大島優子さんでしょ」
 「んなことは聞いてねえ。どうしてあの病院にいると知ってるんだっ?」サドは怒りと恐怖で頭が破裂するのではないかとさえ思った。右手に力が入った。そのままブレザーを引きちぎってやりたかった。前田にさえ「勝った」フォンチーに、自分が勝てるとは思わない。だが、事と次第によってはただではすまない。
 リーダーの危機にあわてたのか、フォンチーの後ろにいた五人の鎖ががちゃがちゃと鳴った。しかし、拘束された体では思うように動けないらしく、さっきからやたらにまばたきをしていたかおるんが、顔面から砂だらけの地面に倒れた。
 フォンチーは背後の様子などおかまいなしといった口調で、「あたしもいろいろ調べさせてもらったし」
 「いいか。これから私が言うことをよく覚えておけ」サドはブレザーを手繰り寄せるようにして、フォンチーと額がくっつきそうなくらいまで顔を近づけた。「優子さんに手を出したら、どんな汚い手を使ってでもてめえを捕まえる。そして人間が感じるすべての痛みを味あわせてから、てめえを殺す。いいか、これは比喩じゃねえ。本当に殺す。必ずだ。わかったか?」
 「わかったもなにも、最初から大島さんに手を出すつもりはないよ。病人とケンカして勝ったところで、面白くないし」フォンチーはまったく動揺していないらしく、平然と言った。「ま、すべての痛みを味あわせてくれるってのは……面白そうだけどね」
 「そいつはけっこうだ。いまの私の言葉を忘れるなよ。私はやると言ったことは必ずやる」サドは投げ捨てるように、ブレザーの襟から手を離した。
 だが、念には念を入れる必要がある。今夜から、アンダーのメンバーたちを二十四時間態勢で見張りに就かせよう。優子に見つからないようにするのは難しいかもしれないが、万が一のことがあってはいけない。
 フォンチーは皺になった襟を直しながら歩き出した。「怖いなあ、サドさん。ビビったよ……」
 サドはそれが嘘だということはわかっていた。悔しいが、この女の肝がすわっていることは認めざるをえない。
 六人は再び、闇の中へと消えた。
 サドは前田に言いたかった。あいつらは強い。自分たちだけでは手に負えないかもしれない。やっぱり前田、おまえの力が必要なんだ――と。
 なにか言いたそうにしているサドの様子に気づいたのか、前田はこちらを見ている。
 しかしサドは堪えた。
 前田はあきらめるべきだ。一度終わった話を蒸し返すのはいやだった。
 やがて、サドの気持ちが通じたのか、前田が口を開いた。「――さようなら」
 「ああ。じゃあな」
 サドにできることは、そう言って前田を見送ることだけだった。




 【つづく】
 ■懇願―2■



 あかつき総合病院から駅へ向かう道の途中にある公園には、だれかに見捨てられ寂しがっているようなブランコや、不気味にそびえるジャングルジムや、なぜかそれだけ真新しい滑り台などが四基の照明に照らされていた。もうすぐ九時になるこの時間に、公園に人気はなく、内密の話をするのにはぴったりの場所だった。
 ここに来るまで、ふたりはなにもしゃべらなかった。サドが緊張しているのを前田は察知しているらしく、表情がこわばっている。
 サドは公園の中央で立ち止まった。「――疲れているとこ、悪りぃな……」
 「いえ」
 「これから話すことは他言無用にしてくれ」
 「はい」
 前田が口が堅いことはわかっているが、念のために釘を刺した。病院内ではなく、わざわざ外に出てきたのは、もちろん優子に話を聞かれないためだ。
 「――いま、マジジョがヤバいことになってるのは知ってるな?」
 「はい」
 「アリジョに狙われている。これも知ってるか?」
 「はい」
 「あいつらに比べればヤバジョとの抗争なんてガキの遊びだった。ホルモンや歌舞伎や山椒……それに、シブヤとブラックもやられた。勝ったのはチョウコクと純情堕天使だけ。しかも純情堕天使は八人がかりでやっとという有様だ」サドはそこで言葉を区切り、前田の顔色をうかがった。変わりはなかった。サドは続けた。「アリジョは四日後、カチコミに来るらしい。はっきり言って、うちらに勝ち目はない」
 こんなことを言うのは、優子からラッパッパをあずかっている身として、恥以外のなにものでもない。口の堅い前田だからこそ言える話だ。
 前田の表情が少し曇った。サドの話の行き着く先を推測できたのだろう。
 「優子さんはこのことを知らない。私が知らせるべきでないと判断した。病気と闘っている優子さんを、余計なことで煩わせたくないんだ」
 「――それは……わかります」前田がうなずいた。
 「だが、アリジョとの闘いに負ければ、そのウワサは優子さんにも届くだろう。そうなったら、優子さんは黙っていない。体がどんな状態であれ、アリジョにカチコミに行く。たった一人でも。優子さんはそういう人だ」
 「そうでしょうね……」
 「だから今回の闘いには、絶対に勝たなければいけない。どんな手段を使ってでも、だ。たとえそれが私の嫌いな人間であろうと、ケンカさえ強ければその力を借りなければいけない。優子さんを守るためには、私の個人的な感情などゴミ同然だ」
 サドは前田をにらみつけるように見た。
 サドの言いたいことを悟ったらしく、前田は顔を歪ませた。「――私は……」
 「力を貸してくれっ。おまえの力が必要なんだ」サドは前田の言葉をかき消すように言った。「私はもうじき卒業だ。だから、この闘いが終わったらお前にラッパッパを譲る。マジジョのテッペンに立て」
 考えに考えた末の結論だった。
 いまのマジジョ陣営で、アリジョに対抗できそうなのはたった四人だ。サド自身、チョウコク、行方不明のゲキカラ、そして現時点でマジジョ最強の女、前田敦子。
 アリジョの戦力がどの程度かわからない現在、四人がそろったとしても不安は尽きない。しかし、やるしかないのだ。優子からマジジョを預かった身としては、命に代えても学園とその誇りを守らなくてはいけない。そのためなら、ラッパッパの部長の座など前田にくれてやる。
 一匹狼のチョウコクが素直にラッパッパに手を貸してくれるかわからないし、ゲキカラは期日までに見つからない可能性もある。自分のほかに頼れるのは前田敦子だけ。
 サドにとっては皮肉以外のなにものでもなかった。優子を守るため、もっとも貸りを作りたくない前田敦子に頼らなくてはいけないとは――。
 アリジョとの抗争が終わったとき、サドはすべてを優子に話すつもりでいる。どんな仕置きでも受ける覚悟もある。自分の身がどうなろうとかまわない。そんなことより、優子が一日でも一時間でも一秒でも長く生きることが大切だ。
 すべてを知った優子は、マジジョを守った前田といま以上に距離を縮めるだろう。サドには耐え難い展開だ。しかし、耐えなければならない。以前、ラッパッパとマジジョは私が守る、と優子の前で言い切ったサドは、絶対にそれを成し遂げなければない。
 だが、前田は首を横に振った。「――私には……できません……」
 「なぜだ?」
 「――それは……言いたくありません……」
 前田がそう言うのなら、そう簡単には話してくれないだろう。力ずくは効かない。そもそも前田には勝てない。
 前田に――いや、だれにもこんな姿は見せたくなかったが、サドは最後の手段に訴えることにした。
 踝まであるロングスカートが汚れることも気にせず、サドは砂だらけの地面に膝と、両手をついた。
 「サドさん……」
 「前田、このとおりだ……」サドは頭を下げた。「学園を――いや、優子さんを守ってくれ……」
 目を閉じた。なんという屈辱だろう。しかし、もはや情に訴えるしかなかった。
 タイマンを張ったときにサドは前田と通じ合えた。前田は一見クールで感情の起伏がないように見える。しかし前田の胸の奥には、いつでもめらめらと炎が燃えている。情に熱く、ダチを大切にする女だ。その前田なら、きっとわかってくれる。マジジョのテッペンに君臨する自分のこの姿に、なにも感じないはずはない。
 「これじゃあ、まだ足らないか、前田? それなら言ってくれ。なんでもする」
 「顔を上げてください」前田も膝をつき、サドの肩を軽くつかむと、顔を覗きこんできた。
 「お前がやってくれると言うまで、私は動かない」サドは前田をにらんだ。
 「そんな……。本当に困ります」
 「なぜだ、前田? あれだけの実力がありながら、お前はいつもケンカを避けている。なぜだ、なぜなんだ、答えろっ、前田っ……」
 最後のほうは、絶叫に近くなっていた。
 前田とタイマン勝負をしたとき、サドは絆を感じた。二人は似ていた。たがいに引くことのできない場所に立っている者同士だった。一撃が打ち込まれるたびにサドが感じたのは、痛みだけではなかった。そこには前田の悲痛な叫びがこもっていた。あのとき二人は、たしかに通じ合えたのだ。
 それなのに、いま――サドの言葉は前田に届かない。
 ――あれは錯覚だったのか、前田? 答えてくれ、前田……。
 「やめてください」前田は肩に置いた両手に力をこめた。それには有無を言わせぬ、堅牢な強さがあった。「お話します。私が、サドさんに協力できない理由を。だから、立ってください。そうしてくれなければ、私は帰ります」
 サドは仕方なく、よろよろと立ち上がった。前田はそのあいだ、ずっと肩を支えていた。もし前田がサドより背が高ければ、きっとクレーンのように引き上げられていたにちがいない。「――話してくれ」
 「はい」そして前田はゆっくりと話し始めた。「私には前の学校に、唯一無二のダチがいました。彼女はケンカばかりの毎日から脱却して、マジに生きる道を選びました。でも、その矢先、彼女は私を狙ったヤンキーたちに暴行され……命を落としました……」
 サドは驚いたが、想定内ではあった。前田がこれほどケンカを拒みつづけるのは、きっとだれかの命が関わっているのだろうと、サドは漠然と考えていた。しかし実際に本人の口から発せられた言葉には、想像を超えた重みがあった。
 「私は、彼女が死ぬ前に約束していたんです。マジに生きる。ケンカはやめるって……。でも、この学園に転校してからも、私はケンカをやめられなかった。自分には言い訳をしました。降りかかってきた火の粉だから。私が悪いんじゃないって……。でも、本当はちがう。私は弱い人間なんです。自分の強さに甘えているだけ。力をコントロールできないだけ。ケンカがしたいだけ。彼女との約束も守れない、弱い人間なんです……」
 「お前は弱くなんかない」
 「私はもう嫌なんです」前田は左手首につけた青と赤のふたつのシュシュを見つめた。「サドさんとのタイマンに勝ったとき、もう本当にやめよう、ケンカはこれで最後にしよう……。そう決心したんです。サドさんに勝ったいま、もう私がこの学園でケンカをする理由はありません。だから、なにがあっても、もうケンカはしません」
 「これは学園内の闘争じゃない」
 「ケンカには変わりありません」
 「守りたくないのか、自分の学校を……」
 「守りたいです。けど、私にはなによりも、ダチが大切なんです」
 「学校の誇りよりも……?」
 「――すみません」前田は頭を下げた。「でも、サドさんにならわかってもらえると思います。自分の大切な人を守るためなら、憎んでいる相手にでも頭を下げられるサドさんになら……」
 サドの脳裏に、優子の笑顔が浮かんだ。
 やはり自分と前田は似ている。タイマンのときの、あの恍惚の時間に感じた気持ちにまちがいはなかった。二人はいま、自分のもっとも大切な人のために、追いつめられている。それを守るために、必死に自分のルールにしたがおうとしている。
 だから前田の気持ちはよくわかった。痛いほど――。
 引くべきだった。
 「――時間をとらせてすまなかった」
 「いえ……」
 「最後にもう一度言わせてくれ……。おまえは弱くなんかない」
 「――失礼します」前田は会釈をして、背中を向けた。どんな表情かはわからなかった。
 歩き出した前田の後姿をながめながら、サドは考えた。こうなったら最後の望みはゲキカラしかいない。生徒会には力を借りたくなかったが、峯岸みなみに事情を話し、協力をあおぐしかなかった。現在、ラッパッパだけでおこなっているゲキカラ探索を、マジジョの生徒全員でおこなうのだ。これで探索範囲は広がり、少なくともいまよりは発見の確率が高くなるだろう。
 それに気づいたのは、前田のほうが早かった。サドから三メートルほど離れた地点で不意に足を止め、前田は公園を見回した。
 サドは前田のその仕草があってから数秒後に、公園を包み込んでいる強烈な敵意に気づいた。
 暗闇の中から、六つの影が現れた。



 【つづく】
 ■懇願―1■



 ココアを一気に飲み干す大島優子を見ているサドの体の中心には、まだ痺れが残っていた。
 目を閉じて、優子との情事の快感の余韻に浸っていたいが、今はそばにいるだけで満足だった。肉体の快楽も大切だが、それ以上に精神の安らぎのほうが重要だ。
 贅沢を言えば、もう少しの時間、優子に抱きしめられていたかった。優子の腕の中なら、辛さも憎しみも、時間さえ忘れられる。そこにあるのは安らぎだけだ。力強く抱きしめられ、「大丈夫だ、あたしが落とし前をつける」と言ってくれたらどれだけ気が楽か。
 サドはベッドの端に座る優子のそばに立ったまま、考え始めた。
 馬路須加女学園を背負うという大役は、自分には向いていないと、サドは思う。自分はあくまでもナンバー2か3の位置にいるべき人間だ。しかし優子がいない今、自分以外に学園を統べることのできる者はいない。やらなければならなかった。
 今日の放課後、ラッパッパにもたらされた情報は、サドを戦慄させた。
 ネズミがつかんだ情報によれば、アリジョが五日後にカチコミにくるという。どれほどの規模かはわからないが、マジジョの旗色が悪いことはたしかだ。
 対アリジョ戦において、マジジョ陣営は苦戦を強いられている。勝ったのはチョウコクと、純情堕天使だけ(しかも、こちらは八人がかりで一人をシメたのだから、勝ったといえるかどうか)。チームホルモン、歌舞伎シスターズ、山椒姉妹はことごとくやられたし、ラッパッパも四天王のシブヤとブラックまで投入して負けた。四天王で残っているのはトリゴヤとゲキカラのふたりだが、トリゴヤの能力はこういった集団戦には向かず、拳を使った闘いでは四天王最弱だ。ゲキカラは失踪中でまだ見つかっていない。アンダーガールズの四人はどれだけ使えるかわからないが、たぶん、いいようにボコられておしまいだろう。
 サド自身が闘うことも考えたが、怪我をしたときのことを考えるとそれもできない。この病室には毎日来ている。そこに負傷したサドが現れれば、優子に説明を求められる。マジジョには、サドにケンカを売る者も、ケガをするほどの一撃を与えられる者もいないのだから、それは必然的に他校とのいざこざということになる(前田敦子とはタイマンで勝負付けがすんでいるし、そのことは優子にも報告してある)。マジジョのナンバー2がボコられたと知れば、優子は黙っていない。入院中の身であろうと、みずから出陣する。それが大島優子という人間だ。だからサドが前線に立つことはできない。
 やはり失踪中のゲキカラを探し出すことが最優先だ。ラッパッパは勅命を全校生徒に出してあるものの、ゲキカラの行方は依然つかめていなかった。そしてもし見つかれば、ゲキカラには二度目の少年院に行く覚悟をしてもらわなくてはいけない。完膚なきまでにアリジョの連中をシメなければいけないのだから。
 あるいは、別の策として、前――
 「――おい、サド……」
 サドの思考を、優子の声がさえぎった。
 「あ。はい……」サドは生返事をした。
 「おかわり淹れてくれよ」優子は空になったカップを差し出した。
 「すみません。いますぐ……」サドはあわててカップを受取った。
 優子のいぶかしげな視線を背中で感じながら、サドはキャスターに向かった。ココアのパックを開けて粉末をカップの中に入れ、電気式の湯沸しポットからお湯を注いぎ、ベッドまで戻った。
 「ありがとな」カップを受取った優子が言った。
 サドはベッドの傍らに置かれた椅子に座った。
 優子はあれ以来、なにも言ってこない。疑いは晴れていないが、サドの頑なな態度に、追求しても意味がないと思っているのかもしれない。もっとも、優子の本心はいつだってわからない。
 それでもサドは優子を信じている。尽くす、というのはそういうことだろう。
 「このあいだ、検査があってさ……」優子はベッドの端から枕元まで移動し、あぐらをかいた。
 「あ。こぼさないでくださいよ」
 「大丈夫だって……。それでよ、いい結果が出れば外泊許可が降りそうなんだ。そしたら、おまえん家、行ってもいいか?」
 「ええ、もちろん」サドはうなずき、そのときに展開される肉欲の夜のことを想像した。こんな落ち着かない病室ではなく、だれもふたりを邪魔しない場所で、夜が明けるまで優子に体を貪られる。想像しただけで、また芯が疼く。
 でも、ふたりだけでいられるのは、あとどのくらいなのか……。
 優子がいないところでは、その不安は心の奥に潜んだままだ。しかし目の前に、命の炎を消そうとしている当人がいるときに限って、それは無神経にサドを襲う。自分より強い相手とケンカをするときに感じる恐怖とは、次元のちがうものだった。底のない、いつまでも這い上がることのできない穴に落ちていくような恐ろしさに、サドは叫びだしたくなる。
 「おまえさえ迷惑じゃなければみんなも呼んで、派手にパーティーでもやりてえな」
 「いいですね」
 サドはそう答えたが、本当はふたりだけの、静かな夜にしたかった。
 でも優子が望むなら、サドはそれに従う。
 優子の気持ちがすべてに優先する。
 「ラッパッパ全員が集まってほしいけど、ゲキカラ……またどっか行っちまったんだよな?」
 「ええ。昭和に毎日、携帯に電話とメールをさせているんですが返事がないんです」
 「あいつのことだから、どっかでエンコー目当てのおっさんつかまえてボコってんだろうけどよ。また捕まる前に顔見てえな」
 優子がゲキカラを「女にした」ことは、サドも知っている。優子はサドと出会う前はゲキカラを寵愛していた。それはゲキカラという「戦力」を自分のものにする策のひとつでもあったのだろう。しかし、ゲキカラはそんなに単純ではなかった。ゲキカラはだれからも縛られない。いつでも好きなときに消え、好きなときに現れる。そのタイミングが、アリジョとの決戦のときに訪れればいのだが……。いまのサドにできることは、そう願うことだけだった。
 「新聞のニュースも読んでいますが、いまのところ事件になるようなことはしていないようです」
 「あいつも年少行って、少しは懲りてるのかもな」優子はココアを飲んだ。「ま。見つかったらすぐに連絡くれよ――そろそろあいつの体が欲しくなったしな」
 優子はサドを見た。いたずらな笑みが浮かんでいる。サドが嫉妬するのを愉しんでいるのだ。
 たしかにサドはその発言に心を揺らした。しかし、それはほんのわずかなことで、サドはすぐに平静を取り戻した。
 優子が他の女と寝ていることに、サドは当初は嫉妬した。優子と寝た相手をシメたことも何度かあった。しかしやがて、その嫉妬の炎はほとんど消えた。
 大島優子という人間の大きさ、偉大さ、寛大さを鑑みれば、だれもが大島優子に抱かれたくなるのは当然のことだからだ。大島優子を知り、大島優子の元で働き、大島優子の口づけを受けた者は、その全員が忠誠を誓う。サド自身がそうだったように。
 元気なころ、優子は毎日のように部室でだれかを抱いていた。お気に入りはトリゴヤだったが、三日に一度は他の女を抱いた。それはラッパッパのメンバーのときもあれば、廊下ですれちがっただけの相手のときもあった(ただし、優子はその気がない相手を手篭めにすることはしなかった)。
 人を愛するということは、相手の存在を尊重することだとサドは思う。だから優子がだれかを抱きたいと思ったのなら、サドは優子の気持ちを優先する。優子がほかの女と寝ることにサドが口出しをすれば、優子はサドを捨てるだろう。だが、捨てられたくないから沈黙するのではない。サドは好き勝手にふるまう優子が好きなのだ。
 そもそもサド自身も、優子以外の女と寝ることがある。それは優子も知っている。サドは自分の性的欲求を満たすためにそうしているのではなかった。優子に叩き込まれた性技は、ラッパッパという組織を維持していくための武器だった。ラッパッパのメンバーだけでなく、山椒姉妹や歌舞伎シスターズ、そして生徒会長の峯岸みなみと寝たのも、すべては優子からあずかったラッパッパのためだった。サドは性によって相手を籠絡し、ラッパッパを守っていた。
 しかし、たったひとりだけ、思い通りにならない人間がいる。
 ――前田敦子。
 あの女だけは、優子に近づけたくなかった。
 優子が他の女を抱くのはかまわない。しかし、前田だけは嫌だった。優子と前田が自分の知らないところでふたりきりになることを考えると、サドは激しい暴力衝動をともなった嫉妬に狂いそうになる。なぜなら、前田は優子に抱かれる気がなく、優子もその気がないからだ。前田が優子の性的欲求の捌け口になっているのなら、むしろ嫉妬はしない。それなのに優子は前田に熱を上げている。
 サドにはそれが我慢ならなかった。 
 ケンカを極めた者だけが通じ合えるなにかがふたりを結び付けている。そこにサドの入る余地はまったくなかった。まったく、一ミリも一ミクロンもなかった。
 優子のあんな目は見たことがない。近いものはある。初めて優子と拳を交わした神社で、倒れた自分に手を差し出した優子のまなざしだ。底なしの優しさに満ちた、菩薩のような輝きだった。そしてサドは恋に落ちたのだ。
 その目がいま見つめているのは前田敦子……。
 強き者だけが共有できる二人の結びつきを壊したくて、サドは前田とタイマンを張り、そして負けた。その夜は悔しくて眠れなかった。
 ――でも、今日、私はその前田に……。
 「――ま。見つかったら連絡くれよ」優子の声が、ふたたびサドの思考を中断させた。
 サドはあわてないようにうなずいた。「ええ、もちろん……」
 それからサドは、優子と他愛のない話をしたり冗談を言いあったりした。考え込んでばかりいては、優子に不振がられる。だからサドはつとめて明るくふるまった。
 面会時間の終わりが近づき、サドは部屋から退出した(姪っ子みたいに駄々をこねて、お別れのキスをせがむ優子のかわいらしいことといったらなかった)。
 廊下を歩き、階段でひとつ下のフロアに降りる。
 そして従業員専用更衣室の前で、サドは待った。
 前田敦子のアルバイトのシフトは確認してある。今日はまだ、病院内にいるはずだ。
 十分ほど待ったとき、エプロンを着けた前田がやってきた。腕組みをして廊下の壁にもたれているサドに気づくと、前田は立ち止まった。
 サドは両手を胸の前で広げ、敵意のないことを示した。「話したいことがある」
 前田はサドに、メガネの奥から疑惑のまなざしを向けた。
 「――話だけだ」サドは繰り返した。
 前田は視線を落とし、「――着替えてきます」とだけ言い残し、控え室に消えた。



 【つづく】

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